八千代運輸倉庫の歩み

八千代倉庫の創業者【宮中正雄】が戦後間もない故郷の呉を後にし、旧高田郡八千代町に、運搬業を開いたのが起源。

共同創業者の神田直樹とともに1957年(昭和32年)に【有限会社カンダ運送】として運送業務を開始します。1950年代当時の日本の物流はほとんど未発達で、陸路は江戸時代の頃のあまり変わりませんでした。

山間部地域から広島市内へ品物を運ぶのは簡単ではありませんでした。操業当初は配送業だけでは生計が成り立たず、うどん屋やアイスキャンディーなどの小売商売も手がけながらなんとか商売を継続していきます。

時代は東京オリンピック、大阪万博の高度成長時代。製品を安く大量に生産し作れば作るだけ売れる社会になりました。物流が発達したのもこの頃で大量で安価に運ぶことが要求される時代に。

創業者の宮中正雄は1976年(昭和51年)に八千代町に本社事務所を構えることを決意。同時に本社倉庫も建設し自動車部品に欠かせないゴム製品の加工工場として稼働を始めます。

高度成長時代の物流業の発展はめざましく、この波に正雄の事業は乗っていきます。1980年(昭和55年)に現在の有限会社八千代運輸を設立し同年に倉庫業の認可を受けました。翌々年には正式に商号も変更しました。

高度成長期の真っただ中。八千代町から10キロほど離れた城下町可部に世界的な飲料メーカー工場が設立されます。

飲料缶とペットボトルの大量生産に伴い八千代運輸倉庫は飲料工場近接の立地条件を活かして、缶・ペットボトルの保管倉庫としての役割を担います。1986年(昭和61年)に本社倉庫3号棟の建設を行いました。

その後1989年(平成元年)には三原市へも倉庫建設を着工させて2年間の間に合計6棟の倉庫を建設し倉庫業の体制を強化させました。

トラック運送業が徐々に軌道に乗ってくるとたくさんの車両の維持整備の負担が大きくなっていきます。いずれは車両整備を自前でやり切りたいと構想していた正雄は隣町甲田町にあるトラック協同組合から相談を受けます。

商売が芳しくなかった甲田町の民間指定工場の事業引き継ぎの話がありました。正雄は考えます。(工場再編と共に自社整備工場を持つことで整備を外注に依存することなく安定した整備環境が整ってくるはずだと)そして1991年(平成3年)民間指定工場ごと事業を引き継ぐ決断し翌年(平成4年)には分解整備事業の認証許可を取得します。

自前の整備場も完備した正雄にさらに事業継承を打診されます。地元JA組合から国道沿いのガソリンスタン事業を引き継いでくれなかと。ガソリンスタンドは地下タンク等の設備投資が大変で一旦は躊躇します。しかし地元経済の活性化維持も考えてガソリン小売り商売を引き継ぐことにしました。

運送業、倉庫業、整備業そしてガソリン小売業と物流に深く根差した事業を幅広く経営することで会社は次第に安定していきました。

2006年(平成18年)三原の倉庫拡張で8〜10号棟の建設。世界規模の大手企業からの大型荷物の保管を担うまでになり安定経営を持続させていきます。

2009年(平成21年)創業者正雄は社長を退任し息子の隆に経営の舵取りを任せます。

新社長の隆は安定した物流事業経営をより良いものにする為奮闘します。そして新しい事業の決断を行います。2022年(令和4年)甲田整備場に特殊車両を検査できる特定自主検査場の建設に着手します。

時代は平成から令和へ。八千代運輸倉庫は時代の変化を柔軟に乗り越えながら物流事業で社会に貢献する企業として存続し続けます。